この時期、睡眠不足と仲良しの私。
今日、ちょっと時間を見つけて、まだ中学生が来ていない時間に、自習室の片隅でお昼寝をして、寝過ごしてしまった。
最近、この年になってようやくわかったのは、人は、基本的に自分のことしか考えていない、ということである。
自分にその自覚があると、思っているわけではない。
けれど、コロナ禍での言動のあれこれを拾ってみると、何度か、
私、自分のことで精一杯になっていました。周りが見えていませんでした・・・。
という表現をお聴きした。
いつもはみんな気をつけている。
けれど、こういう時期だから、みんなの本質が見えるのだと思う。
昨日、出版社の方とお話していて、うちが記事にしていただくなんて・・・、と言っている自分に気がついた。
それはもう不愛想で、あちらも、疲れているのだろう・・・、と思われていたそうである。
なんで今までだと喜んで記事にしていただいて・・・、と喜べていたのに・・・、と思っていた。
理由を探ってみた。
以前に比べて、役立っている感じを感じにくくなっていたのだと思う。
みんながコロナの中で、まだまだ余裕がないのだと思う。
こんなこと言っている私も、やっと自分へのダイレクトな影響を感じ始めてきた。
勉強会に行っても、結構制約もあるし(一定の距離を保たなければならなかったり。)、そもそも仕事上、あまり外出しないように心掛けてもいる。
行けるけれど、行かない選択をしているのと、行けないのとでは気持ちが違う。
出張一つにしても、それはそれなりに気持ちの入れ替えもできていたのだと思う。
友達が、自由に外出できなくて、うっとうしいわね!と言っても、あまりピンと来ず、教室の生徒さんへの対応を考えていただけである。
だいたいにおいて、寒ければその対策、暑ければその対策、という感じで、私は何かを不便に思うこともあまりない。
でも、自分の思い方を変えることで、なんとかするのにも限界もあるように思う。
それでもみんなが大変な時に、人のことに思いを馳せることなく、自分だけ大変、と思う寸前に、ああ、みんな大変だよなあ、と思って観ることも大切だと思う。