むかしむかし、私はお絵かきが大変に下手で、それは、高校受験にも響くようなほど苦手でした。
工作は好きだったのですが・・・。
ときは経ち、私にも娘ができ、毎日一緒に暮らしているうちに、感性が似ているところもあるけれど、ああ、この子、明らかに違う・・・、ということに気づきました。
絵が描けるのです。それも1歳半から、それはそれなりに形になっている絵を描いていました。
3歳のときには、彼女の描いた、アンパンマンに、私のアンパンマンは負けました。
こういう、生まれ持ってくるものってあるのだなあ・・・、と愕然としました。
絵の描けない母親が絵が好きな娘を育てるのに、結構あれこれ試してみました。
だって、私には知らない世界ですから。
画材屋さんに行ったら、お店の人に、美術館に行って、レクチャーを聴いた後に、館長さんにお話を伺ったこともありました。
自分の勤めている学校に画材屋さんが来られていたときに、相談したら、スケッチブックをくださったこともありました。
私は、絵さえ描いていればしあわせなの・・・。
そういう娘の夢は、幼稚園の時から、おえかきやさんになりたい、でした。
それから、ママみたいに、○○大学に行って、画家になりたい、とかではなくて、私は描きたいときに描きたい絵を描いていたいの。
と言われたこともありました。
そんな彼女の先生は、相当に優秀な方だったと後で知りました。
それぞれに自分の中にやりたいことを持って生まれてきます。
後天的に出会うこともあれば、先天的なものとして持ってくることもあります。
でも、できることなら、その子が一番生きるように進路を導いてやりたい。
私は、自分の知らない世界を持って生まれてきた娘の個性を、なんとか学術が好きな自分の思いで、壊さしたりしないように・・・、と必死だったのを思い出します。
それでも、娘は国語が好きなようでした。詩を書いたりすると、私など、とても書けない詩を書いていました。
私の思うしあわせと、娘の思うしあわせは違う面もあると思います。
ともすれば自分の価値観で、○○がいい・・・、と言ってしまいそうになる自分と闘いながら、一生懸命育ててきました。
自分のエゴとの葛藤でもあったと思います。
娘の人生は娘の人生。
私の人生ではありません。
そんな葛藤を懐かしく思えるくらいに、子育て時代を懐かしむ年代になってきたのだなあ、と思っています。
随分育てていただいたものだと思います。子育てを通して。