なんでもほどほどがいい場合。

仕事柄、言葉で定義すると楽になるところがある。
好きな人二人を並べて、とっても似ているのだけれど、どうも違うところもある。
この違い、何?

私は長らく、その違いを追っかけていた。
公平、正義感、温かい、優しい、思いやりがる・・・。
などなど数え上げたら似ているところだらけなのに、どうも、違うところを表現したい。

そのことをある人が言葉にしてくれた時、私は本当にホッとした。

けれど、何かの状態を、すぐに言葉で定義すると、不自由になってくることがあることも知っている。
言葉は両刃の剣である。

うまく使えると、状況や状態を伝えるのにとても効果的である。
しかし、なんでも定義してしまうと、世間を渡るのが辛くなる。
先生が生徒を叱ったことについて、過剰反応する場合。
クラスがまとまる段階に入る前の、ちょっとした混乱の時期。
先輩が後輩を育てようと厳しく育てる時期。

私の新卒の時期も、ブラックと言えば言えなくもない職場だったとも言える。
でも、私にとってはかけがえのない3年間だった。
思い出すたび、ああ、あの職場で良かった、と思う。
新卒で、あの学校で、先輩方に育てていただいて、本当に良かった、と感謝している。

ブラックだと取って、辞めるのも方法。
鍛えられていると思って、続けていくのも方法。
でも、そのけじめをしっかりつけて、無理ばかりをしないのも大事である。

誰かが助けなければならない状況にいる人もいる。
けれど、ある一定の厳しさもなければ、何も得ることもできない、というのも事実である。
どこまで鍛えるか、どこまで成長したいか?
そういうことをきちんと自分で見定めて行きたい。

いろんな人がいるから。

昨年、ある場面で、ある人が、
高圧的な○○さんに、従順な自分の姿ばかり思い描いていました・・・。
とある人のことを言っているのを聞いたとき、びっくりしてしまったことがある。
そんな状態ではなくて、その○○さんは、相当に、その従順と思われている人に気を遣っていて、甘やかしすぎではないか?という懸念すら抱いていたという状況だった。
その言葉の定義の鋭さに、それを聞いたら、ご本人は相当にショックを受けられるだろう、というほどの気の使い方であり、配慮があった。

定義は便利だし、伝えやすい。
しかし、使い方を一歩間違えると、相当に世間は狭くなるだろうし、何より自分自身が行きにくくなるだろう。

これを言ってしまったら、関係性は崩れるな、という言葉もある。
若い人が年配の人の性質を断定する場合。
だいたい断定というのはよくない。
職業からその人の性質を類推して、自分の中で断定してしまう場合。

それだって、全部やめていたら、人生そのものが面白くなくなってしまう。
ちょっとの意地悪や感情、そういうものがあるから人間であるのだし、そういうものを認めたり、自分にもほかの人にもあるのだということを知るだけでも、結構生きて行きやすくなるのかもしれない。
定義が好きな、定義ができるとホッとしがちな自分であるが、何事もほどほどにしておきたいなあ、と思っている。