自分がこうありたい・・・、と思っていたことと違うところに自分がいるとき、思い描いていた自分とは違うところに自分がいるときは、人はそれは、なかなか受け入れられるものではないのかもしれない。
結構年齢を重ねてみて、素敵だな、羨ましいな、と仮に思うことがあったとしても、その人にはその人なりのご苦労もあるだろうし、ときに、同世代の方から、あなたはいいわよー、と言われてびっくりすることがあるけれど、結局、一緒になって、隣の芝生は青いのよねー、ということになる。
もっと、○○であればよかった、もっと○○すればよかった、ということはたくさんあるだろうけれど。
でも、今になって、結構したいことをさせてもらってきたような気もする。
お味噌汁が、濃い、薄い、から始まって、それぞれの文化がぶつかる食卓でも、その日一日の家族の身体の使い方から、それはそれは創造性豊かなものになる。
今日は、みんな疲れているから、塩分濃いめ。
身体のために少し減塩。
たくさん歩いたから、ちょっとたくさん食べよう!
気持ちが沈みそうだから、気晴らしにおいしいものを作ろう!でもいい。
本当は、そこに立っている自分との付き合い方が、その人を、その人の生き方、感じ方、考え方を決めるのだと思う。
同じ状況でも、しあわせだと感じるか、それとも、自分をあまりよくないもの、と捉えるかによって、生き方は全然変わってくる。
受容、って大事だな、と思う。
そのまんまの自分、ありのままの自分を愛することができたら、結構しあわせになることができるだろうなあ。