母と私は結構性格が似ているようで違う。
ものを選ぶときのセンスなどは相当に似ていると思うけれど、例えば人生に対する態度は違うなあ・・・、と思う。
今朝も、さて、整形外科に行こうというとき、まだ本当に早朝だったのだけれど、母は洋服の脱ぎ着をしながら、痛いなあ、痛いなあ、と言っている。いや、もう私くらいの年齢では、痛い、と言う言葉とお友達であった。
そこで言ってみた。
痛くても、ゆっくりでも、動けるって、しあわせなことでしょ?
私も、少々どこかが痛くても(いや、あまり痛くないから言える?)、どこか調子が悪くても、動けることがしあわせだと思うけど?世の中には動けない人もいるよ・・・、と言った。
病気のために、相当な痛みを抱えながら、それでも人前では言わないようにして、頑張っておられる方もたくさんいらっしゃる。
私より若い世代のお母さまでも、いろいろ身体の不調とお付き合いしながら、お仕事も持っていらっしゃる。
それには母、私も仕事しておいたら良かった・・・、とよく言う。
仕事、というものに結構執着のある人である。
若いころ、結構大きな会社で、バリバリ働いていた頃が、母の自慢である。
どうも母の楽しい思いでは、仕事の話が多いような気がしている。
これは相当に似ている。
それはそうだろう。社会で、誰かのために役に立たせてもらうことができて、それで何らかの報酬をいただくことができるなんて、それはしあわせなことだと思うし、母に羨ましがっていただいても、それは十分にわかることである。
相当に子煩悩(ここも似ている。)な人であるにもかかわらず、どうも仕事、というもの価値を見出しているようである。
一方、結構小さいころは母が料理やお菓子の研究をする姿や、お洋服を縫う姿も見てきた。
祖母が嫁である母を自慢げに話していたのも思い出す。
顔も似ていて、あの二人は結構仲が良かった。
2人のおかしな会話を思い出してはおかしいくらいに、結構一緒に仲良く笑っていたなあ。
大阪という土地のせいもあるのかもしれない。
おじいちゃんがお買い物に行って、自転車で主婦の友(のちのダイエー)に行って、とんでもなく大きいステテコ?とサイズを間違って買って来て、広げて大笑いして、これ、お相撲さんのやで・・・、と2人で笑うなどという、絶対土地柄的だろうと思わされることもあった。
家付き娘で、ハンサムなおじいちゃんをお婿さんにもらったおばあちゃんに対し、おじいちゃんは、嫁の気持ちがよくわかるらしく、小さな心遣いをしてくれた・・・、と母は今でも2人のことを感謝して、話している。
私が見ても、2人とも性格が良かったと思う。
嫁に対してできた人たちだったとも思う。
母の嫁としての行動の自由度や、不満を言えていた様子など、私などからは想像がつかない世界である。
それで文句言うたら、バチ当たるわ!と言ってやりたいことがたくさんあった。
おばあちゃんの可愛いところは、嫁にもらったあれこれ、例えば財布などを持っているところを見せては、
これな、あんたにもろたん、わて、よう使わんと大事にしまってあるねん、と言いながら、きれいなまま、母の前で使っているところを見せては、感謝して、喜んでいたところである。
母も祖母には良くしていたなあ、と思い出す。
お洋服を縫ってあげたら、喜んで着てくれた、と言っている。
自分の祖母のことをよく言ってもらうとき、孫としては嬉しい。
だから、私も悪口など言わないようにした。
私も私なりの大切に仕方として、お姑さんへのプレゼントは、母のより、少しだけでも高価なものにした。
せめてもの努力だった。
今の自分の状態を、それはそれなりにありがたいものとして受け入れながら、次へと行く向上心もあるけれど、今の自分を、○○ができたらなあ・・・、と足りないところに目を向ける向上心とでは結果が異なってくると思う。
もっと大変な人もいるのに、元気でいさせてもらえて・・・、と思えば、毎日も感謝できるだろう。
案の定、痛くても動かさんなんよ・・・、の先生のお言葉に、さて、これからは過保護はやめて、ちょっと厳しく鬼の娘になってやろうかな、と思っているのである。
本当の愛は厳しいのよ!
というのはウソですが・・・。
その割に結構楽しいこともしているような。(笑)