新卒で勤めた学校で、それはもうあちこちから学ばせていただく機会があったので、あちこちから、詩学や哲学、はたまた国文学や世界文学など、それに良い妻になるように、という情報まで入って来て、ご丁寧にお盆の持ち方まで教わった。それこそ女性の品格である。
理事長からは、生徒たちを紳士として淑女として扱うためには、まずは自分たちが紳士であり淑女として接しなさい、とまで言われた。
今、できているかは怪しいにしろ、どこかにその言葉が残っているのは事実であって・・・。
そんな中で、生活の仕方まで教えてくださった方がいらした。
まあ、仏教の教えを細かくしたような教えであった。
根が単純なもので、あちこちから教えられることは、怪しいことを除いては(今から考えても、そうそう怪しいことなどなかったけど。)、どれも真面目に実践した。
ただ、忙殺されていたので、女性としての方を求められても、そうそうお応えできない面はあったけど。
そんな中で、学校の仕事があり、教材研究する間もないくらいに忙しく、寮に帰って、少しはお手伝い(大したことをしているわけでもなかったけど。)をし、あれこれ仕事があって、遠距離恋愛でなければ、とっくに破綻していたであろうありがたさの中で過ごしていた。
ある日、無理なことは無理なんだから・・・、と言ってくださった方がいらした。私はもっともっとできるようになりたい、と思っていたので、無理しているように思われたのだろう。
哲学にも相当お詳しい先生から、ああ、肩凝ってるでしょうね・・・、と私についてご指摘を受けたらしい。
なんでも、身体に無理して、気持ちにも無理して、挙句にタイミングにも無理して、それに、今できていることに感謝がないから、まあ、肩が凝るでしょうね・・・、とのことだった。
まるで禅問答である。(笑)
頭の中に???が飛んだが、そうっかなー!?となり、それからは一つ一つのことができるたびに感謝していた。
一コマ授業ができて、良かった。
○○さん(生徒の名前。)の話が聴けて良かった。
お茶碗が洗えてよかった。
などなど。
おかげで、主婦になってからも、楽しかった。
そういうことを体得できれば、家庭に入っても、楽しくなりますよね・・・、とのことだったらしい。
一つのことをやり終える、あるいは完成することを目的にしていたら、楽しくないが、その過程で一つ一つのことができることを喜びに取られることができれば楽しい。楽しさが積み重なっていく。
とはいえ、最近、この心の持ち方が薄れてきているようで、どうも完成主義に陥っているようで、私はちょっぴり寂しいのである。
目の前に問題が起こったとして、それが人間相手のことであっても、それを一つ一つ解きほぐしていき、それを解決に持って行く過程を喜ぶことができれば、楽しさが積み重なる。
あの時のあの件は楽しくなかった、嫌だった、ではなくて、ああ、なんとか乗り越えた、になる。
そういう気持ちが薄れているようである。
かつての職場の先輩で、おまけに大学の先輩でもあった社会の先生は、今でもどうも一つ一つのことを感謝しつつ楽しんでおられるようである。きっちりと一つ一つの仕事を重ねて行かれる方だった。
ご自分が遠い昔に絡んだことでも、良くないことには大々的に頭を下げていらした。
きっとそのことを寂しく思っておられながらも、関わったのだから、という思いで、自分にも責任がある、と思っておられたのだと思う。
私も今一度、教えられたことを実行できているかどうか、楽しい日々になっているかどうか、自分を見つめ直してみたい。