かつて夫のゴルフの用意のために、厳しくしつけられたおかげで、そのスキル?を使って、私は今日、とんでもない量のお買い物をしてきた。
だいたい、自分のことでない準備は想像力が必要である。
母が、急遽入院することになった。
整形外科でのそうそう大変ではない手術である。
先生も、「治療しますか?」とおっしゃったほどの、治療するかどうかも訊ねられるくらいの手術である。
ちょうどそれほど相手をしてもいられない時期だったので、ちょっとありがたいくらいの話になっている。
それでも、準備があれこれあって、今日はお買い物に大忙しであった。
ニトリとしまむらと百円ショップとドラッグストアをはしごした。
当然分からないことはスタッフさんにあれこれ尋ねる。
で、母にお買い物をしてきたものを見せたら、ちゃんと揃っていたみたいで、喜んでくれた。
あら、これも忘れずに買ってきてくれたん?
と言われて、感謝しつつ思い出したののは、若いころの、当時は慣れなかった夫のゴルフの準備や転勤での引っ越しの作業であった。
母は私が何でもすることが早いし、抜けがないと喜んでくれる。
これはみなさん、そう育っていかれているのを間近で見ていたし、お手本は周りにたくさんいらした。
相方の会社のおかげと言えば言えるが、それでも育てていただいた、と若いころには文句タラタラだったのに、今ごろになって感謝してみたりしている。(笑)
かつて、お姑さんが入院されたときは、イヤミでない程度の可愛い下着などを用意したけれど、あまり喜んでもらえなかった。
仕事帰りにジャケットを着て行って、嫁に見えなかったということである。
それは、まあ、言葉のせいもあるのではないかしらん。
どうも、あの人誰けー?と訊かれたようで。(笑)
どうもすみませんでした!
これは内緒の話。
ところが、次女である母は、姉であるなんでもできる伯母を頼り切っていたので(この伯母には私も憧れていたし、母はこの、できる姉を重宝に使っていた。女学校での伯母は、昔の女性が求められるありとあらゆることができた。私もお弁当など素敵に作ってくれた。お洋服なども作ってもらったらしい。)、私に任せて、とにかく準備できれば嬉しそうである。
イヤミにならない程度の可愛いものを取りそろえた。だいたいこの人は何かにイヤミだとか考える人でもないし。
スタッフさんにお聞きして、化繊だとどうのこうの、木綿だとどうのこうのという談義もお聞きできた。なるほどね!
母は、そのデザインを気に入り、素材を気に入り、これでむしろ冬の準備は完璧!と無邪気に喜んでいる。(笑)
このあたり、やはり長女と次女では違うのだろうか・・・?と母を見ていると思えてくる。
アマゾンで頼んだ雪対策のブーツも、サイズが合わないらしく、交換しておいて・・・、と気軽に言ってくれる。
亡き父は、母に優しかった。
厳しめの人だったけれど、事実私たち兄妹は厳し目に育てられたけれど、二人の関係を思い出すとき、よくできた夫であったし、母への気遣いは、なかなかなかったのではないか?と思わされる。
母が体調が悪いのに、何かをしてほしいと頼むような人ではなかったし。これ、結構重要な気がする。
父に先立たれた母は、かなり寂しがっていたけれど、寂しがることができるほど、愛されていたということだし、それだけ思えるのはしあわせなことだと思う。
あれこれお聴きする機会もあり、自分のことを考えても、先立たれて寂しいと思えるご夫婦ばかりでないことも容易に想像できる。
真に愛情だけで結ばれているご夫婦だけではない。
だから、父が亡くなってみて、母の意向がどのようなものになっても、その生活がどのようにでもできるようにしておいてくれたことを考えても、きちんと後の者が困らないようにしておいてくれたことを考えても、つくづく責任感の強い人だったのだなあ、と父に感謝したくなる。
そんな一人の男性に(自分の父だけど・・・。)愛し抜かれた可愛い母を、私がしっかり守らなくちゃ、と思っている。
どうも母の話を聴いていると、伯母や叔母(母の妹。)のような、夫が横暴、というような苦労はあまりなかったようである。
私には伯母たちの話を相当に理解できるだけの経験はある。
叔母などは、夫が叔父と同じ業種だと言って、私の結婚を反対した。というより遠くに行くから、と寂しがった。寂しがってくれたのは、伯母も同じだった。
なんでもモテる人というのは、誰かに(仮に別れた人であったとしても。)ものすごく愛されたことのある人らしい。
どうも、私も、どこかで、お父さんがとっても愛した母だったから、大事にしなくては・・・、と思っている節があることを思うと、この説は、なかなかに正しいように思えてくる。そうそう私に母はモテている。(笑)
母には愛されたことのあるオーラがあるのだと思う。
だからこそ、子どもは大事に愛情掛けて育てなければならないと思う。
その子が愛されたオーラをまとって世の中に出て行く。
この子を愛している人がいる、ということを思わせられる親でありたいものだ。
子どもたちのお誕生日をお祝いするとき、お料理を作ったり、ケーキを焼いたりしたとき、プレゼントを買いに出掛けるときに、いつも思った。私の大事な生徒さんたちにも、こうして彼らを大事に思っておられる親御さんがおられるのだなあ、ということを。
だから、私は私の身内を大事に思ってほしいときには、その本人に愛情を掛けるのが一番だし、周りの人を大事にすることも大切なことだと思うのである。
自分の子どもたちも、社会で周りの人に大切に扱ってもらえるように、私も周りの人を大事にしたい。