以前、法学部ご出身のお母さまと話していたことがあった。
最近、家庭内での問題が結構世間に公表されるようになったことについて、
以前からあったのかしら?
と訊ねると、
昔からあったのが、最近表に出るようになってきたんじゃないかなあ・・・。
とのことだった。
さすが法学部。私たち文学部の世間に対するどこかぼんやりしているようなところとは違って、ある意味厳しさをお持ちのようなところがおありだった。近親相姦の話題も、私などの、周りにそういうことがあったらやってられない、というニュアンスではなくて、実際に被害に遭った人ともお付き合いがあったりして、現実的で、それはね・・・、という感じだった。
数日前に、次のような記事を読んだ。本当に遅ればせながら。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/335874
県下でも問題とされ、そしてそれが公表されるようになった。
かつては家庭の問題はご家庭で。周りは聞いてはならない、という考え方から、これからは周りも看過してはならない、という時代になるだろう。
ずっと前に、そういう被害に遭っている生徒に気付いたら、義務まではいかないけれど、教員も連絡するべきところに連絡しなければならない、という決まりができたことを知った。
でも、そんな決まりは到底そうそうは機能しないだろう。
こと密室になりやすい家庭の中で、女子供(本来こういう表現はしてはならないと思うが。)はどうしても弱い立場となり、被害があっても声を上げにくい。
その上、行き場がなく、勇気をもって脱出を試みる人が行く先はシェルターなのだな、と思うと、この被害の重さを実感させられる。
加害者(突き詰めれば加害者もかつては被害者であったということはよくあることであるが。)から逃げる、という決断をするには相当勇気がいるだろう。
大抵の場合、加害者が暴力を振るう(肉体的暴力だけではなく、精神的暴力も含めて。もちろん経済的暴力もある。)のは、劣等感から来ることが多い。劣等感というのも、本来あるべきはずの自分の姿と現実にある自分の姿に乖離があり、そのあるべきではない姿の自分を直視できずに、誰かのせいにする。その対象はよくあるのが妻。そして妻との距離の方が近い場合は子どもたちにも及ぶ。
本当は妻がいないとたちまち困るはずなのに、妻のために自分が○○できない、となる。
特に出世競争においても、昇進した誰それの奥さんがよくできているから、とか、奥さんが足を引っ張るから○○ができないなど。
その実妻に助けられ、妻のおかげでそこまでこれたくらいに妻の力ゆえに助かったこともたくさんある。
自営業の場合は、その実妻がいなければ成り立たないくらいのこともある。
奥さんが悪い・・・、と言われるくらい社会的には行い済ましている男性もいるし、あんなに温厚そうな、とか、おとなしい人が、という場合もある。
世間をだますことに掛けては超一流であり、口もうまかったり、誠実そうであったり、おとなしそうであったりする。
そんな構造の中で、妻もなんだかしんどい、なんだかおかしい、と思ってみても、大抵は性格が良かったり、おとなしかったり、波風立てることに以上に抵抗があったりして、自分さえ我慢すれば、ということで、何も起こさずにそのまま、ということになりがちである。
でも、その実態は、相当に理不尽で、人ひとりの精神、強いては身体を壊すには十分すぎる。
精神や身体に異常をきたすのであれば、立派な傷害であるし、もし死ぬほど追い詰められたとしたら、手を貸してはいなくても、間接的には殺したも同然ということになろう。
かつて、大きな反省が一つある。
結婚式にも出てくれて、余興でも活躍してくれた友人が、私より後に結婚した夫が暴力を振るう人だった。
仕事もよくわからずに結婚したらしいが、ある意味で、不釣り合いにもなりそうな結婚だった。
最初嬉しそうに手縫いのウェディングドレスについて話してくれていた彼女が、別れたいと言い出したとき、私は止めた。
離婚して、○○ちゃん(彼女の何か月かの娘さん。)、お父さんをなくすの?それであなたはその後恋愛するの?そんなの勝手だし、誰だってそんなわが身勝手なことってある?
暴力について訴えられても、
誰だって軽い暴力くらいあるよ。家族だからね。
と昔の教育現場での体罰容認論のように言ってしまった。
今の自分なら、無知と、己の意識の昏さにめまいがしそうなことを言ったものである。
知らない、ということは大きい。
その後、彼女からは絶縁状めいた手紙が来て、私もその手紙を破り捨てて、彼女との関係はなくなってしまった。
謝る気も起きなかった。
共通の友人から、彼女は裁判で勝訴したけれど、元夫に追いかけられて、その時も逃げていたらしいと聞いた。
容易には想像できない世界かもしれない。
そして、まだまだ相談されて、とんでもないことを言ってしまった過去の事例はある。
プライベートでの相談とはいえ、とんでもない発言をしたものだと反省することしきりである。
結構ある。周りにもたくさん事例はある。
私が結婚したての頃、かつて勤めていた学校の先輩は、何は何でも夫の言うことを聞くものだ、という考えだったし、今思えばその先生も相当に奥様に対して横暴だった。今だって、垣間聞く(垣間見る?)奥様への対応は、古い世代の在り方であると思われる。
かつて新婚の頃に別れる!と大騒ぎされた奥様も、何十年も連れ添われて、それまでの人生を否定などできるわけもなく、肯定するために耐える人生のように感じられる。
これはあくまで私の考えである。
かつて私にもあれこれ言われていた方である。
男子の多い大学から、女性の在り方にうるさい学校に勤め、共に働いた親世代のその方からは私の考え方はどこかおかしいらしく、相当に私は感化された。まだまだ大勢はそういう考え方だったのだろうと思う。
言われたこと、もしかしたら時代を逆行するようなことも教わってきたのかもしれないし、その通りに実行しても来た。
夫や子供に何か言われて、「ちょっと待って。」と言わないで、さっさと動きなさい。
それをまともに実行した。
最近の世の中の動きを思うと、若かった頃の時代とは隔世の感があるほどの速い動きである。
若い世代が、いや、私たちより年配の世代であろうと、いつからでも自分の人生をしっかり見つめるべきである。
ただ、
勉強していて残念なことは、DVは治らない、という事実である。
今日が一番軽い日、という言葉すら聞く。
何とか夫側が更生できないものだろうか?と思う。
妻子に手を出して、罪悪感がないわけがない。
罪悪感を打ち消そうとして、さらに暴力を振るうのだという説もある。
何とかみんなが楽しく幸せに暮らせる形はないものだろうか?