しあわせの形

結婚して、まさかすぐに母親になるとは思っていなかった、ということを思い出した。
ありがたくも授かって、でも、夫婦だけなら夫婦だけのしあわせもあると思う。
高校時代の後輩が、
先輩、早くの子どもを持ったということのメリットをもっと実感するべきですよ!
と言ったので、確かになあ・・・、と思っていた。
彼女はタイに旦那様が赴任するとのことで、自分の仕事を辞めてついていき、高齢出産のギリギリの時期を子作りに行ってきます、とのことであった。
複雑な心境の先輩な私。
キャリアを積んだのなら、それはそれで別に仕事に掛けてもいいんじゃないかな。
とは思うものの、彼女は娘が生まれてすぐに産院に娘の顔を見に来てくれた人だったから、子どもが本来好きなのかもしれない。

二人なら二人の過ごし方もあるだろう。
何もみんながみんな、子育てをしなければならない、というわけでもないだろう。
私は、子育てしなかった自分も考えられないけれど、一方、仕事から得た学びの素晴らしさもありがたいと思っている。

子どもが生まれてくれる、というのは本当に幸せなことだと思う。
でも、一方、伴侶と共に楽しい時間を過ごしてもいいと思う。
それこそ子育て中の夫婦が羨むくらいに、楽しいことを二人でたくさんするのもいい。

こんなことを書いていて、それぞれに学びの形があるのだと思えてきた。
結婚するのもしないのも、周りに流されることはないし、子どもをもつかもたないかもそれぞれに考えて行けばいいし、ほしくてもできなかったら、今度は伴侶を思い切り大事にして仲良く楽しく過ごしてみるのもいい。

私たちが若いころにはクリスマスケーキという言葉があった。
23日、24日が一番売れる、つまりは結婚できやすい。25日になったら怪しくなってきて、なんとか25歳までに、26日では、つまり26歳では売れ残り。
私はこの意見を真っ向から反対も賛成もしない。
正直子育ては体力が要るので、早めに、というもわかる。
それにどうしたって跡継ぎが必要なこともあるだろうから、周りからのプレッシャーも否定はしないけれど、あまりに周りがあれこれ言うのもなあ、と思う。
私はもう少し大人になってから結婚したかったし、子どもについてももう少し大人になってから母になるべきだと思っていた。
まあ、まだまだ子どもだった私のところによくも生まれて来ていただいて、それも生まれたときから愛しそうに、ママだとわかってくれていたようで・・・。
まだまだ自信のなかった私のところにやって来て来ていただいて、私は少しずつ母になって行ったのだと思う。
思えば育てていただいた。
そして仕事からも育てていただいた。
嫁に来て、結構たくさん育てていただいた。
どれもなくてはならない要素だった。

今の私を形成している要素として、どれもなければ今の私ではないと思う。
夫婦で留学した人もいるし、海外に遊びに出掛けているご夫婦もいる。
家具を買う代わりに書架を作った人もいるし、学問が好きで、ずっと団地で本に囲まれて暮らしている人もいる。

だいたい、自分のしあわせを誰かと比較することなどないし(比較してしまいそうになるが。)、自分独自のしあわせの基準を作ればいい。
それに、しあわせそうに思える人にだって苦労も心労もあるわけで、だから、しあわせそうな人がむしろ羨ましくなるくらい、違う意味でしあわせを追究したっていいと思う。
スタンダードなしあわせを追い求めたって、それはあくまで他人軸であって、自分自身が周りに合わせたしあわせである。

そんなこんなを思ってしまうのも、自分の中にもスタンダードに縛られている自分に気づくことがあるからで、それぞれがしあわせならそれは素敵なことだと思っている。
件の後輩も、旦那さんと海外に行ってきました!とよく知らせてくれた。
それでいいと思う。