先日、実家の母と話していて、「行動力あるから、ときどき、そんなつもりで話したのではないのに、パーっと動くから・・・。」と言われて、腑に落ちなくて、ちょっと困っていた。割に合わないなあ・・・、と思ったのである。
何の話でだったか、かかりつけの先生と話していたときに、「弱い人って得ですよね?」とボソッと私が言ったら、先生は、「それ、めちゃくちゃようわかる。ある程度まではそうやなあ・・・。」と妙に納得されたことがあって、びっくりしてしまった。だいたい、なにかにおいて、先生と私が意見が一致することなどないやないか・・・、という信念があったから。
エッ!?そしたら言うな・・・、となるが、なぜかボソッと話してしまったのである。
最近、私は、仕事や家事の能率が落ちている、と思っていた。変形空の巣症候群よろしく、こんな仕事をやっていると、生徒さんを送り出して、寂しいからか、ホッとするからか、あれこれあるのである。数年に一回くらい、陥る・・・。
仕事から逃げて、近くのカフェに行くこともあるし、仕事から離れたくて、程よい距離のお店に、ちょっと、という場合もある・・・。
旅行に、とは思わなかったし、思えない。
春は、思ったより毎年忙しいのである。
入学させたらさせたで、その後のことをあれこれしなければならない。
受験期のような張り詰めた忙しさとは違う、なんとなくの気ぜわしさ・・・。
そんなとき、ある国語の文章に出会って、腑に落ちたのである。
強い、ということは、また、自分が強い、正しい、と思っている人は、自信があって、人の弱さを受け入れられない。だから、自分の弱さを受け入れることによって、人の弱さを受け入れられる、というような話があった。
ああ、母や妹からすれば、私がなんでもさっさと行動して、決めたり、あっちこっち交渉したりして物事を進めてしまうけれど、それが気分に合わないことだったリ、あるいは、超スピードで着いて来れなかったりしたんだろうな、とふと気付いたのである。
とても楽になった。
そうかといって、自分を責めているのでもなくて、あのときはあのときで、自分が動かなければならなかっただろうな、と思うし、今は今で、妹がいろいろやってくれていることが、それでいいのだと思えるのである。
割に合わない・・・。
そんな気持ちをあちこちでしてきた。
まあ、見返りを求めんとやることやな・・・。先生の言葉も思い浮かべながら、でも、なんとなく、おかしいな、と思っていた。
あるとき、母校のことを思い出した。
同じ大学に行っているのに、どこの大学の人に、友人の話をしても、「ああ、I高は優秀ですよ・・・。」と言うのを聞いた。就職活動のときも、その後も、そして、今頃になって、大阪の大学に通っている、卒業生のお姉さんから・・・。
同じ大学内で、なんで、優秀?
長い間わからなかった。
ただ、ある意味、変わっているとはわかってきていた。
そうして、思い出したのである。
あの学校の中では、何かをしないことが罪だったような気がする。目立ってなんぼ。やってなんぼ。勉強はもちろんせんなんけど、どこか勉強がすべてではない、という価値観もなくはなくて・・・。それに、何か言ったら、どれほど忙しくても、極論すれば、次の日にできている、というのが当たり前の学校だった。
先生も明言されていた。授業で聴いたことは、次の授業では、しっかり理解しているというのが前提ですから、と。
できないと怒られた。
同級生から、論語でやり込められたこともあった。
できないことが罪だった。
そんな学校で、弱さを受け入れる、なんて、到底学ぶことなどできなかったはずだ。
札幌時代、とんでもなく困ったことがあって、そのとき、悩んだのは、精神的に解決できないことだった。今でも覚えている。
「I高生だから、そんなことに悩んでいちゃいけないんです・・・。スマートに解決しなくちゃ。」と発言したことがあったのである。どうも私の中で、高校は、封印したいくらいの過去であったにも関わらず、その校風だけは、どうも受け入れてしまって?いたようで・・・。
その当時の自分になら言えるかもしれない・・・。
それは無理やて・・・。
自分の弱さなど、到底受け入れてはならなかったのだろうな・・・。
みんな割に合わない想いしながら、生きてるのかもしれないな・・・。
そうして、そろそろ自分の弱さも受け入れながら、人生の味わい深さもわかってくる年頃なのかもしれないな・・・。
数か月来の腑に落ちない原因をすべて母校にかっつけて、私は納得したのである。
あの学校が変やってんで。
入学したのが運の尽きやで・・・。
結構、みんな、やってしもて、損してるねんやわ・・・。
なんだか納得して、可笑しかった・・・。