実は長らくトラウマがあった。
大学の先輩に、入学した年の夏合宿で、「お前は、『あ、こいつ、俺に気があるんかな?』ということをみんなにするやろう・・・?残酷な奴だ!」と二人の先輩に詰め寄られた。
時は移り、高校教員時代。小学部の校長先生の奥様から、「あなたは本当に危なっかしい。男の人の怖さを知らない。先生は、男女の友情を信じているからねえ。」と女子大出身の先生のそばで言われた。友達の結婚式に行くときも、新郎の方が親しかったので、つまりは、スピーチで、「余計なことを言わないように・・・。」と注意された。
高校なんて、いったい、だれが女子であることを意識して生きてるの?という環境だった。
部活は男女一緒の部活だったし、戦力外通報されてはいけない部活だった。一緒に大きな楽器を運んだ。中学が一緒だった男子には、「とても女の子が運ぶようなものではないから。」と助けてくれようとしたけれど、ティンパニにシロフォン。重たい楽器を、時には女子だけで運んだ。
レディー・ファースト、って何ですか―?という学校。まだ内面的には私などが一番女性的だったのではないだろうか・・・?
下手すれば、女子の方が強かった。
そんな高校で、育って、大学に入ったら、男子がたくさん。兄に恵まれない(存在はするけど。)私には、かまってくれるお兄ちゃんがたくさんできたみたいで、きっと嬉しくてニコニコ笑って挨拶してたのだろう・・・。それで勘違いされても、私に罪ある?
「好き、という言葉は、たった一人の人のために残しておきなさい。」などと、なんとも正統な言葉を言われて、それから先、婚約者がいるのに、誰かに好意をもたれたときや、結婚してからそれ系のことがあったら、それはもう、真剣に悩んだ。
仕事や勉強で役に立ってくれる人、と認識していたら、そっち?となり、頭が???となり、挙句、「私、また、いったい何したんやろう・・・?」と真剣に悩みだすのである。
人間としての好意は大歓迎。議論の対象にしてくれたり、仕事仲間にしてくれたら、とっても嬉しい。
で、その、トラウマ作成等のご本人とお話しする機会があって、訴えてみた・・・。
全く見当違いの答えが返ってきて、私は何のために悩んでいたのだろう・・・?と深刻に考えてしまった。
こういうアホな自分に気づきだしている。いったい、どれほど殻にこもっていたのかしらん・・・。
でも、根が、男女なく、たぶん、教師でしかない意識を持っているので、行動に何ら変化はないものとも思われるけど・・・。
それから、私は、いろんなことに興味も関心もありすぎるので・・・。
時間の掛けどころがそっちとはちょっと違うかも?