お子さんのそれぞれの個性ーもっているものを伸ばす―教育相談から思ったこと

たった二人の子どもしか育てたことはなく、それでも生まれたてのころからそれぞれの個性がありました。

性格形成には、遺伝説、環境説、そして、シュテルンの輻輳説があると教わったし、教員を目指し、本当に教育に関心のあった私は、大学時代からずっとどれが本当だろう・・・?どこに何が影響するのか?と考えに考えてきました。

自分が母親になり、さあ、実験対象が目の前に現れた・・・。などと書いていると本人たちに知れたら大変なことになるだろうかしらん?
大丈夫。読んでるはずはないから・・・。(笑)

上は娘。
まあ、なんと可愛らしい女の子らしい(たぶん、あっちに似たのだろう。でも、私の母にも似ている。)、でも、ドーンとしているのがわかりました。
この子、人生で何が起こっても、乗り越えていくだろうな、という重量感(失礼!)がありました。
でも、私の胸の上で、遠慮がちに甘えるのです。それはもう、女の子らしく。
お、お、おかしい。私からこんな女の子らしい娘が生まれるはずがない。
でも、顔はそっくりと言われる。
叔母の一人は、「まゆみちゃんに似てる・・・。でもまゆみちゃんよりかわいい。」と喜んでいいのか悪いのか・・・。
ごめんねっ!おばちゃん!不細工で!

下は息子。
生まれたての不細工度は、私の仲間!
やっと生まれてくれた。
第一声。「仲良くしよな!」(そうだ!君と私は仲間だよ!)
と思っていたら、数日後には裏切りやがったけれど、まあ、それはその後の経過もあるので、まあまあ、深くは触れずに・・・。
こいつは、私の首に自分の首を擦り付けて、ギャーギャー泣いている。
なんで僕が、ママに甘えて悪いんだ!僕のママだし!
と思ってるやろ?あんたは!
なんであんた、私があんたの母親やって知ってるのん?と聞いたろか?と思うような図々しさで甘えていました。

その後の二人の心は客観的にしかわかりません。
でも、二人はよく似ていながら、明らかに違うのです。

芸術肌の娘と、普通にスポーツしたり勉強したり、割と友人関係もすんなりいく息子。
でも、状況を何もかも受け入れる娘(ものすごく忍耐強い。)と、状況を受け入れつつも何とかしようとしていく息子。
第一子と第二子の違いもあるでしょう。
女の子か男の子かの違いもあるでしょう。
でも、それぞれに得意分野も全然違っていました。

文章を書かせてみても、娘は短詩型。詩など書かせて、びっくりしたこともありました。
息子は散文型。なんだか心ある文章を書く子でした。
どちらも感受性が強くて、娘は昔は感じたことを外に出していましたが、それを表に出さなくなり、そして息子は、ウルウルじわじわ来ているのがすぐにわかってしまう・・・。

たった二人でも、よく似ているようで、全く違うものを持っています。
どちらが優れているわけでも、劣っているわけでもない。
ただ、彼らが、もし、自分自身の持っているものを十分に生かしてくれているならば嬉しい。

一般的な、世間に合わせて、自分の子供を判定しがちです。
でも、そんなことで済まない素晴らしさを一人一人の人間はもっています。
誰とも比べることなどない。
比べなければ、だれも羨ましくもならないし、別に自分のしあわせを追求していけばいいだけです。
追求するものなのかもわからないけれど。
自分の人生が少しでも明るくて、楽しいものになるようにすればいいだけです。

私は二人を比較してみたことがありません。
だからか、娘が言ったことがありました。
私は、ママを母親、○○を弟、というより、個人としてみてるから・・・。

そう、個人なのです。
周りとは協調しなければなりません。
でもね、だれもが幸福になっていいはずです。自分の個性を生かしながら。
公共の福祉に反しない限りにおいて、それぞれ幸福になる権利があるのですから。