高岡に来たのは生きるためー先生に出会って・・・、と言われて、しあわせなこと。

高岡に来たのは、先生に出会って、生きるためだと思っているんです・・・。

以前からそう言ってくださる方の闘病を少しだけ支えるために、毎日メールを送り続けている。
春期講習が始まって、やはりつい、書けていないなあ・・・、ということに気づくこともある。
でも、何かとにかく明るい話題を見つけて・・・、でも、私ばかり楽しそうでも行けないから、ときには人間らしく、悩みも見せて・・・、と思いながら、そのときそのときは精一杯なのだけれど、それでも、闘病中の身にとっては、辛い話題になっていないかなあ、と気にしている。

仕事柄、仕事さえしていれば、人のお役に立っているはずであるはずの仕事である。
それをこそ感謝しているのだけれど、どうしたって、人の気持ちには寄り添え切れないこともある。

自分の立場からしか、見えないこともある。
どんなに一生懸命考えても、絶対に、ほかの人の心をもつことができないから。

強い使命感を要する仕事をされていらっしゃる先生にお聞きしたことがある。

無力感を感じることはないですか・・・?

そしたら、
たまーに、たまーに、クライアントの状態が、思っていたよりもすごくよくなることが、ほんまにたまにあるくらい。

そうか。
たまに無力感、ではないんだな。
と当時、まだ、たまに無力感を感じることがあり、それを大きくとらえていた自分の、甘さに呆れていたものだった。

その後、あれこれ経験して、精一杯ではあるものの、それ以上を望むことはある意味傲慢だと気づくようにもなった。

人はそれぞれご自身の力で、強くなっていかれるし、悟ってもいかれる。
それを、自分の力で・・・、と思いすぎるのはよくないなあ、と気付いている。