弱肉強食とか、競争に勝つとかあれこれ話があるけれど・・・。
今日、高岡市役所に行ったら、赤ちゃん連れのお母さんがおられて、赤ちゃんが泣いていた。
そのときに考えた。
よく、電車などの公共の場で、小さい子や赤ちゃんが泣き止まなかった利した時に、迷惑そうにする人がいる。
私も正直疲れているときなど、もしかしたら神経に触ることもあるのかもしれない。
でも、自分にも子育て時代があったのだし、それよりも子供はみんなで育てていくものだし、誰かがイライラし出したら、周りもイライラするだろう。もしかしたらちょっと触るかもしれないけれど、自分がイライラするのをなだめるくらいはできる。
それから、お年を召した方々に対して、幾分若い世代の私たちやもっと若い世代が、なんだか冷たい態度になっていることがある。
私の母も、ずいぶん年老いた。
可愛らしい人だから、可愛い感じはいまだに抜けない。
でも、いろんなところに一緒に行くと、どうして?というほど、弱い人扱いされているのを感じることがある。
先日も、母のために行った公共の期間で、お隣の老婦人が、一生懸命にわからないことを訪ねているのに対して、面倒くさそうに、呆れたような対応をしている人がいて、横でそのやり取りを聞いているだけでも、正直むかむかしてきた。上品そうな賢そうなご婦人だった。その質問は、横でそっと聞いていた私からしても当然のものであったし、不思議に思っても仕方がない。それなのに、あなたは、この分を請求されても仕方がなかったのに、それをされず、そして、この金額になっているんです・・・、と、まるで悪いことをした人扱いのようだった。
思わず憲法15条の参政権をもち出してやろうか・・・?と思わなくもなかったけれど、だいたい人と対立したり、意見を言うのはそもそも好きではない。とはいえ、本当に不当だな、と思ったときには勇気を出して言ってしまうところがある。思わず、電話しようか・・・?と思った。
個人をどうのこうのいう気持ちはない。ただ、ご自分の仕事を勘違いされているのではないか?と思ったのである。
母にはたまたま私がいたので、スムーズにあれこれの仕事をしていただいたけれど、それでも、どこかに上から目線な感じがした。
正直、憲法、よく読んでよね!と言いたかった。
いずれ私たちも老いる。
誰かの世話や支援が必要になる。
高齢者は、私たち社会を支えてくれた人たちである。
赤ちゃんが生まれたときには、何もできないのに喜んでする世話を、どうして老人に対しては冷たくなるのだろうか?
そんなこんなを考えさせられた出来事だった。
それに、赤ちゃんを持っているお母さんもなぜ弱者のような扱いをされるのだろうか?
ちょっと考えればわかることなのに、その時の目の前の自分のことにしか目が行かないのだったら、自分も含めて悲しいなあ、と思うのである。
かつて、数か月の頃の娘を抱いて、ある場所に行ったことがあった。
そのとき、なぜか隔離されるような扱いをされて、出席することが迷惑、と思われているのかな?と思ったことがあった。
表向きは、みんなが集まればいい、という考え方のところであったのに。
今考えても、不思議だった。
逆の立場なら、赤ちゃんを持っていても、みんなであやしながら、楽しい会にしてもいいのになあ、と思わされる。
どうして、こうも余裕がないのかなあ。ほんのちょっとだけ自分にも振り掛かることであることを考えてみることができるといいなあ。