ご自分の本心に気付いていますか?ー自分の人生に責任を持つのは誰?

仕事柄心理学関係の本や記事を読んだりすることが多いのは当たり前ですが、今までわかり切っていることだと思っていて、私の本心はそっちだと思っていたことが、実は本心ではないのだな、と気付いたことがありました。
人と関わる仕事をしている私がそうなのですから、自分の本心に気付いている人がどれほどたくさんおられるのかは私もわかりません。
私は割と本心でないことはできないタイプのような気もしていますが、周りとのバランスを考えたときに、それ相当の我慢もするタイプでもあると思います。

みんな社会で生きていますから、周りとのバランスを考えて、自分が○○したらどうなるか?と考えるのは当たり前と言えば当たり前です。
そこを考えることなしに行動する人がいたとしたら、それは相当自分勝手でいわゆる自己中で、わがままということになると思います。

ただ、世の中の仕組み的に、どうしても何かのひずみは弱いものにしわ寄せされる傾向にあります。
当然力を着けなければ意見は言いにくいし、周りの人にも伝わりにくい。
子どもたちのいじめの被害がなかなか伝わりにくかったり対応されにくかったりするのもそのあたりの構造的な問題も絡んでいると思います。
弱いものの声を聞かない方が大筋では問題なく進むことは多いと思います。

私自身も学校現場にいて、つい一人ひとりの生徒の気持ちを聞いてしまいがちな教師でした。
でも、大組織になると、その組織存続のためには、その小さな声をすべて拾っていては前に進まない。
それでも、その声というのは大事だと思うのです。
大きな組織で対応できなければ、それを聴いてくれる人のところに行ってでも、自分の人生は自分で何とかしなければなりません。

一番怖いのは、大きな声を出す人の言っていることを鵜呑みにして、言われることをそのまま受け止めて、よくある、女性や子どもたちが
自分が悪いから、そこを改めたら・・・。
という発想になって、どんどん自分を追い詰めていくことです。
良い人ほど、できた人ほど、周りを変えるのではなく、自分を変えることで今までの状態をそのまま維持しようとしてしまいます。
何かがおかしい。これでいいのだろうか?
と気付き始めた人はしあわせです。
自分のしあわせに気づき始めたのですから。

私は日本の伝統的な家族制度を否定する気もありませんし、もっと言うなら家父長制も、それがうまく機能している分にはうまい制度であるとさえ思います。
仕事熱心な旦那さんに、家庭的(今の時代にこんな言葉を使ってもいいのだろうか?)な奥さんの組み合わせ。
男性のわがままを受け止めるだけの奥さんの包容力。
そのバランスがいい場合はそれでいいと思います。

ただ、男性が自分は仕事をしている。奥さんは家庭、そう、漠然とした家庭的な問題は一手に引き受けさせられて、横暴な旦那さんの言葉にも、家庭というものを壊してはいけないと一生懸命に頑張っている。
でも、そんな一人にひずみをすべてしわ寄せするようなあり方は、いつか破綻します。
それは性別としてというよりもその人自身の弱さです。
仕事でこうありたいというところに到達していないのは自身の問題なのに、奥さんのせい、奥さんが○○でなかったら、もっと○○だったのに・・・。
自信のない人が結構こういう発想になっていることは多いのです。

奥様がいらっしゃらなくなったら困るのはご自分なのに、反省できない。
仕事ができる人は条件など言いません。
その条件をも、悪条件をも自分の味方につけて発想の転換をしてきっちりと生かしていく。
奥さんが○○だから成功するわけでも足を引っ張るわけでもありません。
それを言うなら、その旦那さんでなければ、奥さんはもっと素晴らしい奥さんであったかもしれないし、社会貢献できたかもしれない。

本当に今のままでいいと思っていますか?
この人には私がいなくては・・・、というような発想で、今の状態から抜け出すことを怖がってはいませんか?
この人には私がいなくては、という発想自体が、心理学的な言葉でいうところの共依存になっています。
頼られることで自分の存在価値を見出す。
自立している男女は、1人ひとりでも大丈夫。でも、2人になったらなおさらいい人生になる、一緒にいてしあわせなのは、そういうカップルだと思います。
どちらか一方がそれこそ一方的にどちらかのためになっているなんて、そんなバランスの悪い2人がうまくいくはずがありません。
どちらかが犠牲になっているのなら、まだ解消した方がいいと思います。
棺桶に入るときになって、自分の人生は何だったんだろう?と思われてもいいですか?
また、自分がそう思いたいですか?
世間体はあります。体裁は誰だって大事です。
社会生活を送っていてそれも無視できるものではありません。
でも実質が伴っていないのに、世間体や体裁が先行しても、その内情はただただ理不尽です。
一時しんどくても、社会的に大変でも、それでも自分の人生を取り戻すべき人はたくさんいらっしゃいます。
そんな、勇気ある一歩を踏み出そうとする人の背中を押す仕事をしている人は世の中にたくさんいるはずです。

社会制度の中で納まりよく生きていくのは確かに生きていきやすい。
周りとの調和において。
でも、社会がまた自分の人生に責任を取ってくれるわけではないことも事実です。
自分の人生と社会との折り合いを付けつつ、これが一番、というラインを見出していけたらいいな、と思っています。