今朝、ご病床にある方から久しぶりにメールが来て、ご返信したのだけれど、気になってお電話してみたら、出てくださった。
実はフェイスブックを見てくださっているのは知っているし、ものすごく楽しみにしてくださっているのも知っているのだけれど、メールをしたり、お電話したりすることが、お身体にご負担になってはいけない、と思って、控えさせていただいている。
思い切ってお電話してみたら、いつもより幾分明るい声。
しばらくお身体にご負担にならないようにお話ししていた。
しっかりフェイスブックからブログを読んでくださっていて、
ああ、フェイスブックに書かれてましたねえ、なんて言ってくださっていた。
だから、書くのは止められない。とか言いつつサボり気味でもあるけれど。
できるだけ書いてる。(笑)
もし、自分が誰かの役に立っていると感じられたら、人はきっと生きていける。
私は、その方のお声を聴けて、ちょっぴりいいこと言っていただいて、仮に嫌なことがあっても、また、こうやって、人のために役立つ自分を実感することもできるではないか・・・、と思えた。
仮にほかの誰かに、その人の仕事についての、職業人としての意識の低さを感じたとしても(実は、その仕事の意義も周りに訊ねてみた。以前、付き合い方を変えなければいけない、と表現した仕事だった。付き合い方を変える、というのは、こちらがその仕事に対する認識を変える、という意味であった。)、それはその人の問題であって、私は私の仕事をできるだけ全うするように努力すればいいだけのことだ。
私は私の仕事を円滑に進める支えになってくれる人が大事である。
それは、子どもたちの指導者が大事だったのに似ている。
だから、お世話になっている人とは、それなりに良好な人間関係を築いておきたい。
その関係なしに、どちらか一方が、得をしたり、利益があったりするのは違う。
などなど考えることはいろいろある。
先生がおっしゃっていたように、要領いい人はちょっとの間は得するけど、結局正直で裏表のない人がしあわせになると思います、
なんて言ってもらった。
私の周りでは、どうも不器用な方がいいこと起こっているような気がする。
長い人生を見てみると・・・。
私の経験上、正直ほど近道で、単純で、生きやすい方法はないと思う。(笑)
一見、要領悪くても・・・。
受験も然り。
基本をしっかり。
そして演習をしっかり。
ちゃんと自分で考える。
そして質問。
自分でやるべきことをしっかりやってこそ私たちの授業も、指導も生きる。
当たり前のこと。
努力が大事。
それから、昨日、友達と話していて、
先日の一人しあわせるーむに電話した話をしたら、
それ、こわーい!
と言われてしまった。
いやいや、効くって。これ。(笑)