誰かと信頼関係を築くことができたなら、その人がしあわせになるということは簡単なことであると思う。
その人がいるから、その人が信じてくれているから、生きていきやすくなる。
ここ数年で、誰かと誰かの仲を、割ってしまう人が存在するということを知った。
いや、もっと以前から知っていたのかもしれないけれど、その心理状態までを実感できるレベルで腑に落ちたのは最近である。
そのために嘘をつくのも平気。むしろ習い性になっているんだな、と思うタイプもおられる。
あまりにまことしやかであるので、そんなことあるのかな?ということでも、思わず信じてしまいそうになる。
だいたい、嫉妬に駆られて何かを起こすタイプではなくて、むしろそういう感情が湧いてしまったら、たぶん我と自ら逃げ出して、そういう気分になる場所には近づかなくなるタイプだと思うので、正直わからなかったのである。
そんなこんながあったとしても、それでも信じあえる人がいれば、人は生きていける。
というより生きていき易いものだと思う。
誰かの言葉で孤独になることも簡単だし、自分を強く持つことで、いつもつながりを感じていることもできる。
そのつながりは、究極、人ということもあろうけれど、造物主(簡単な意味でも神だとか仏とか以上の。)みたいなものとのつながりかもしれない。
この世の法則性は間違いなく存在すると思う。
良くないことをすれば、するというより思いめぐらせば、その通りの結果がついてくるだろう。
でも、少しでも誰かの役に立とうとすれば、きっと自分にも幸せがやってくるものだと思う。
たぶん一人でいても寂しくないくらいのつながりを感じることも不可能ではないだろうと思うのである。