大好きな7月を迎えて・・・。心機一転!ー人を受け入れるということ。聴くこと。

今日から7月です。
どのようにお過ごしですか?
私は、今朝はエアコンの取り付けに来ていただいているので教室にいますが、この後それが終わったら、14時半開校の予定なので、家に帰ってそう麺つゆを作ってこようと思っています。
我が家は今私があまり調子がよくないので、いつも炊飯器にはお粥がたかれているという状態。
そろそろおそうめんにして、それもいただいたおナスでなすびそうめんにしていただこうと思っています。
まだこわごわです。

夏にバテるのも生きているからです。
ついいつもの調子のいい自分でいたいと思いがちですが、それはわがままというものでしょう。
今ある自分を受け止めて、最善の方策を立ててそれでもダメなら受け入れるのも大事だと思います。
自分が調子の良くない時には、誰かが助けてくれるものです。
という気持ちになってきました。

私も何でも自分でやりたいし、やってしまう方だと思います。
結婚してからも、そうそう夫を頼れることは少なかったので(同業者に嫁いだ叔母もそうだったそうで、引っ越しの時に当てになったことがないそうです。)、最初こそは不足にも思いましたが、そのうちそういうものだと思い、随分できることが多くなりました。

全く話は変わりますが、よく言われることですが、話すことのできるスキルを人は求めがちです。
私も、若いころ(幼いころ?)は幾分おとなしかったので、大学時代には、話せることを目指したものでした。
教壇に立った時はまた違うのですが、仕事以外の世間話があまり上手ではありませんでした。
周りには結構うまく話している、と思われたようですが、嫁いできた地方の違いもあってか、いえ、大阪にいたときの方が、話すのが苦手意識が強かったように思います。

とはいえ、教師になってからも思うのですが、話すことも大事ですが、その実聴くことというのは本当に大事だし、難しいことだと思います。
たぶん、これは想像の範囲を越えないのですが、お姑さんだって、その実聴いてくれる人は助かるのではないかな?と思います。
若いお嫁さんは何でも話したい。お姑さんは聴いてあげる。アドバイスするのもいいけれど、その実年配者が尊敬されるのは聴くことによってではないか?と思うのです。これは今、ふと思いついたことです。

教師も、大方の仕事は聴くことのような気がしています。
そして、最近出会った専門家の方も、聴くのがお上手なのだなあ・・・、と感心した方がおられます。
こんなに上手に人の話を聴かれているのはなぜだろう?と思わされます。
実はこの方は不思議な方です。それ、覚えておられたの?と思うようなことをおっしゃるのです。
そして、あれこれ行動なさるのです。
懇到切至、ここに至れり、という様子。

昔、まだ小さかった頃、息子に、ちょっとその年にしては受け入れるのを難しいことを言いました。
2人で車に乗っていたときのことです。助手席に座っていた息子は、長いまつげをパチパチさせて、私の言葉の意味を理解しようと努めっているようでした。
禅問答のようですが、
嫌な人はね、嫌な人になりたくて、嫌な人になっているんじゃないよ。
私は、ある人にあることをお願いしてほしいと頼んだのでした。
それは息子がその言葉を言いたくはない相手だったのでした。

その時の息子の様子はよく覚えています。
何も発せずに一生懸命に心に受け留めようとしていたその様子を。

そして息子は私の言ったとおりにしてくれたのでした。
その後、僕、ちゃんと言ったよ!
と胸を張って言ってくれたのでした。
そんな息子も、社会で今も聴くことができているのかどうかはわかりませんが・・・。

ときにきちんと行動する人って、あれこれ言わないものなのかなあ、と思います。
きちんと受け止めて、どこかでそのために行動している。

聴くというのはそういうことなのかなあ?と思います。