昨日、朝、授業の準備をしていた時間にお電話がありました。
他県から来られたご夫妻。
誰も県内に知り合いがいらっしゃらない方です。
生徒さんのお母さまが、ご病気をもっていらして、何かあったらいつでもご連絡してくださいね、とお話ししていました。
お父さまは金沢までお勤めに行っていらして、人のために身を捧げるお仕事。
なかなか抜け出すにも抜け出せないお仕事なのはわかっていました。
お母さまが、先日から調子が悪くて、何度か救急車を呼ぼうか・・・?というところまで行っていらっしゃることは知っていました。
そこに、「救急車を呼ぶのに、付き添っていただけませんか・・・?塾ありますよねえ・・・。」と遠慮がちなお電話の声。
決して無理をおっしゃるご夫妻ではないのです。
よほどのことなんだな、と思いました。
目の前には中三生。
9時から12時までの授業はして、12時まで待っていただくことにして、気になりながら、お昼休みに飛んでいきました。
私は、救急車を呼ぶ、ということの大変さをわかっていませんでした。
お目に掛かったときも、そんなに大変に思えなくて、心ない言葉を発してしまったのではないかと反省しています。
私が救急車に電話すると、すぐに来てくださり、身内でないから、着いて行っていいのか?と思いながら、でも、救急隊の方たちには、来てください、と言ってもらえて、私は私の車で、病院に行きました。
お母さまがおっしゃったように、お薬を冷蔵庫から出して、救急隊長に渡し、お母さまのお荷物を持って出かけました。
救急車に乗られるところを初めて見ました。
救急車をお見送りしようとして、ハッと気づき、よろしくお願いします!と言って、自分の車に飛び乗り、救急車より早く病院に着くべく車を走らせました。
病院で合流し、お母さまはドクターのところに運ばれて行かれました。
私は待っていたのですが、しばらくして、
先生から、帰っていいですよ、と言われたとのことで、ご不安でないか心配だったので、お母さまのお気持ちも聞いてもらいました。
病院で、午後からの大学受験組には、デスクの上に用意してある過去問を解くよう、指示を出しておきました。
でも、思ったより教室に帰ったのは早くて、でも、病院に後ろ髪引かれる思いで帰ってきました。
ちょっと葛藤しました。
今、受験を目の前にしている生徒さんがいるから・・・。
でも、命の危険のある方を放ってはおけません。
ちょうど真ん中を探りました。
お母さまにも私のできるだけをして、でも、生徒さんの授業にも支障のないように。
だから、12時になるまで待っていただきました。
どこかにどちらにも申し訳ないような気持ちがあるのです。
でも、人間として、生きていくうえで、この葛藤を忘れてはいけないな、とも思うのです。
それにしても、昔、娘の妊婦検診にお義父さんに車で連れて行ってもらった病院・・・。
かつては周りの人のお世話にならなければ、生きていけなかったし、お世話になるほうがずっと多かったし、今よりずっと寂しくて孤独でした。
お腹の中の赤ちゃんを守るために、若いながら、新しい土地に慣れようと必死でしたけれど、いつも実家のある大阪や、母校のある京都が懐かしく、恋しかったことは否めません。
いまや、大阪や京都は行くところ。
高岡が帰る場所になっている自分に気づいて、あまりにもおかしかったのです。
人って、全く関係のないできごとから、全く違うことを思い出さされることもあるよなあ・・・、と今回の気づきには感謝してしまうほどのことでした。
人って、強くなれるよなあ・・・、なんて、若かった自分を思い出しています。