仕方のない現実を受け入れることが難しく、理想的であってほしいとない物ねだりをしていたのかもしれないのだけれど、周りはとうに気づいていて、私だけが夢見る夢子をしていたのかもしれないなあ、と思っている事実がある。
いや、浮気されたとかではなくて・・・。(笑)
今日、久しぶりに、結構長い間頼りにしてしまっていながら、その人から自立したい、対等になりたい(そういう関係性では全くないけど。)と思い続けていた人に会ってきた。
私が、結構忙しくて、自分のことなど構っていられない話をすると、
そうやろうね・・・。
とわかっていたご様子。
わかってくれている人がいるだけでもいいやん、と思う。
先日は、私が別人に見えた・・・、と言って心配してくださっていた方もいらしたし・・・。
どうもしっかり者に見えて、大丈夫、と思われ勝ちだし、だいたいにおいて、大丈夫な結果になるからそうだ、というのもあるのだけれど。
そもそも、それぞれが自立したうえで、頼るべきところはお互いに頼ればいいと思う。
すべてにおいて、誰にも頼らず自立しなければ・・・、などと思っていない。
第一、本当の自立というのは、頼り合うこと。
ちょっとずつ頼ることのできる人がいることを言う・・・、という専門家の意見もあるくらいで。
誰かに全面的に頼ろうとすることがいけない。
甘えるのもほどほどにしなければ、きっと周りに誰もいなくなるだろうと思う。
誰だって、誰かに一方的に頼っている人のことは相手にしなくなるものだから。
つくづく思った。
大丈夫?
という言葉の偉大さ。
何かができるわけではないけれど、ちょっとだけでも気持ちを楽にするような言葉掛け。
実は昨夜は、私が、嬉しくて泣いてしまうようなことがあった。
ある方が、意識不明になられていたのに、意識が戻って来られたとのことだった。
私が大切に思っている人の、それこそ大切な人である。
何とか奇跡が起こってほしいと思っていた。
どうも奇跡が起こったみたいである。
人の思いって、大きい。
私も、その方の意識が戻ってくれることを、ひそかに願い、ひそかに祈っていた。
人は支え合っている。
誰かに起こった大変なことを、見過ごすのではなくて、できることだけでもして、できることなら心に寄り添っていたい。
でも、一方的に頼るのではなくて、その方が一生懸命に頑張っておられるから、少しでも・・・、と思うのであって、もしその方が当然でしょ!?というような態度だったり、恨みがましい態度だったら、誰も寄り添ったりはしないだろう。
一生懸命にやっている、ということが大きな前提である。
誰にでも何でも言って、人を動かして、自分に都合よくことを進めようとする態度の人には誰も協力はしないだろう。