恨むよりずっといいこと

ときに誰だって、自分の気持ちに添わないことを言われることもある。
また、、自分にも想いがあって考えたうえで行動しているのに、周りから違う意見を言われて、思わず、なんで?と思うときもある。

そんなとき、私は、なんとか自分の気持ちを調えようとする。
その相手への感情というより、自分にとって、これはどういう意味なんだ?と腑に落ちるまで。

別に相手が感情をぶつけているのだっていい。
何だったら意地悪でもいい。
単純に冷静に歯に衣着せず自分の意見を言ってくれているのだっていい。

ただ、そのことが自分にどんな意味があるのか?ということが納得できるまでは結構考える。
相手の意図などどうでもいい。
それはあまりにも失礼なのだけれど。

意図をもつほど、世の中の人は自分に関心などないだろうし。
いつもそこに落ち着く。

私も誤解する。
人を?
いや、事柄を。

うまく呑み込めない時もある。
でも、受け入れる。
自分にどういう意味があるのかということを。

やっとわかったとき、行動ができる。
納得したら、次のステップに行ける。

その事柄に感謝できる。
でも、徹底的に考えないといけないこともある。

私は短時間で、しかも、明日は大事な試験があるというのに、深夜まで起きて、なんとか納得し、次のステップを考えだした。

今は周りに感謝している。
もしかしたら、今更遅いかもしれないけれど。

客観的に考えられるように、こういう時は身内には相談しない。
徹底的に客観的な意見を言ってくれる人の話を聞くようにしている。

それが正解だったと信じている。
割りに人の意見は聞く。
でも、なかなかうまく呑み込めない時もある。

でも、誤解したまま誰かを恨んだりするよりは、まだましだと思っている。

とんでもなく、自分勝手な解釈のようだけれど。
でも、つくづくありがたかった出来事だったのだと感謝している。
さんざん周りに迷惑かけたのだろうけれど。

いつものように、振り回しておいて、1人で納得するのは悪い癖である。