抜けのない母ー追いつめられる?私。

実は胃の調子が悪い。
柄にもなく・・・。
ドクターには、「胃が痛くなるようなこと、何があるの?」と訊かれた。
まるで、ここのところのいろんなことをご存じのように・・・。
かつては、「胃が痛い・・・。」と訴えたら、「そんなこと、あったっけ?」とパフォーマンスよろしく、カルテを、繰って、「お前にそんなことあるんかいな。」的な反応をされ、何げに、そっかなー、と思えたが、今日は、信じてもらえるところが、というか、精神的なものだと認識されたようで、嬉しい、じゃなくて、それなりに、私の苦労も理解していただけたようで、ホッとした。

実は・・・。
母に困らされているのである。
困らせられている、と言うと大げさである。
よくある母子の関係だと思うのだが・・・。

あれは、知的優秀母だな、と思ってきたし、思っている。
私が、何かを言うと、事柄で返してくる。
気分を分かってくれないのである。

だから、私の子育ては、子どもの気持ちを聴くことに徹していた。

一言言うと、こちらは、「そやなあ・・・。」とか、「確かにあんたの言う通りかもしれんわ。ごめんな。」で済むのに、言い訳ばかりを言われる。
そうじゃなくて、気持ちを分かってほしいんだけど・・・。
一言謝ってほしいんだけど・・・。
悪気はない、とか、私は気を悪くさせようとして言ったわけでない、などなど、ちょっと言ったら、まるでテニスの打ち合いのように、返ってきて疲れる。
しかも、最近の私の、していることに対して、ちょっと配慮がなくて、寂しかった、と言っただけで、「○○ということ?」「そしたら、○○したらあかんねんな?」とか、別に咎めていたり、なんらかの答えがほしいのではなくて、受け止めてほしいだけなのに、2時間、延々と、私が一言言ったら、返ってくるの、繰り返し。ああ、そやなー、とは決して言われなかったと、振り返って小さい頃からのことを思い出した。

そうかもしれんね、と受け止めてほしいだけ。
寂しい想いをさせてしまったんやね。ごめんね。と言ってほしいだけなのだ。
80歳を目前にしている母に、酷なことを言ってるのかもしれない、と思いながら、ああ、私は、逃げ道のない話を母に仕掛けていたなあ、と思う。
何か話すとき、気持ちの抜け道がほしくて、話している。
それなのに、私は悪くない、の抜け道のない話をされると、辛くなる。

上司が部下に話すとき、先輩が後輩に話すとき、あるいは、教師が生徒に話すとき、親が子どもに話すとき、私は、やはりどこかに逃げ道も作ってやる必要があると思うのである。

ちなみに母は優しくて、公平な人である。人格者の部類にも入るだろう。
それから、私も大好きである。
それでも、頭を下げられない何かがある。
何だろう、と思っている。