先日から、母に付き添って、病院に行っている。
富山に来て診ていただいた先生方が、診ていただく順番にお薬を大量に減らしてくださって、単純に温泉、温泉、温泉、と子どものように楽しみにしていた母は、どの病院に行くのも喜んで、富山はいいところだと喜んでいる。
私は、もう、いやと言うほど、この場所の仕事の誠実さにほれ込んでいるので、都会にいるより、そりゃあずっといいわよ!と心の中で思っている。
一人ひとりをよく診ていただけるのが地方のいいところではないかな?と勝手に思っている。
その中で気づいたのは・・・。
当然年齢とともに、弱ってくるところもある身体。
でも、二週間の入院で、足腰が弱ってくるのはある意味当然で、それを戻すのには時間が掛かる。
薬をたくさん飲んでいたら、そこからの副作用で、あれこれと症状が出てくることがある。
それを、何の分析もできずに、ただ、不安がっていた母に、診ていただく先生方が一つ一つ丁寧に説明してくださった。
娘の私が言うと、症状に思いやっていないようで、冷たくも思われそうで、いいことであっても、そうそうアドバイスできもしなかったことを、丁寧に、にこやかに説明してくださった。
年相応、加齢による症状はあっても、年齢の割には、健康であること。
今の症状に対して、それなりに自分で努力しなければならないこと。
お薬のせいで神経にも来ていて、痛みに効かなければ、当然やる気も失いがちであること。
順序だてて、丁寧に道筋を見せて出さり、これからどうしていったらいいのか、具体的な方策と、ここはある程度付き合っていかなければならない、と言うことも教えてくださった。
痛みについても、慢性の痛み外来で診ていただいても、それは慢性の痛みにもならないもので、でも、一か月に一度、話して気持ちが楽になり、それに対応を考えるために来てみてもいいかな・・・、と言ってくださった。
それに、○○歳でしょ?お元気ですよね?なんて、そーっとほめたり励ましたり・・・。
そういう一連の話の中で、母が関西で一人で過ごしていたときには、あちこちに不調だらけで、この先どうなるのか?と心配していたのを思い出した。
まだまだ希望を持って、生活を楽しむことができるんだ・・・、と嬉しくなった。
○○ができなくて・・・。
○○が痛むから・・・。
そんな話を聴いてばかりだったけれど、母が努力したら、それなりに回復もするし、毎日を楽しむこともできるんだな、と思えた。
でも、高齢者の中には、ご自分で、あるいは心配されたご家族のご判断で、思ったよりも症状が重いのだということになって、我と自ら、自分自身の人生を明るくないものにしてしまうこともあるのだろうな、と思う。
昨日の、先生の、痛くても動かすようにした方がいいですよ・・・、というお言葉に、私は母のこれからの希望を見出した。
本人にとっては痛みは酷な話なのかもしれない。
けれど、痛くても動かしてもいいのなら、その痛みと上手に付き合っていけば、また、その痛みも少しずつ和らぐことにもつながるだろう。
今回、母の症状や、訴えについて、いろいろ判断し、ご説明くださった先生方のおかげでホッとした自分の気持ちや、母の前向きな姿勢を見ていて、私もたくさん学ばせていただいた。
私だって、きちんと説明すれば、保護者の方や生徒さんに、きちんと説明すれば、道筋が見えるということもあるだろう。
計算ができていないから、数学の問題を解くのが遅いのか、あるいは根本的にわかっていないのか、では点数が仮に同じであっても、取り組むことは変わってくる。
国語だって、意外に言葉の意味や漢字がわからないところから読めなくなっていることもある。
何が原因かをしっかり説明することの大切さを、何度目かに思い知った出来事であった。
偉大だなあ・・・。
先生方。心の底から感謝を込めて。