櫻井の分析によると、大きな声を出して、目立って、みんなの前で意見を言ってる・・・、というような人はわがままにはならない。
それよりも、いかにも常識人の顔をして、間違っていない、と思い込み(実際、まわりの人に対して、言いたいことを言っている人、と思っているし、自分は我慢しているいい人、と思っている場合が多い。)、そして自分はおとなしいいい人だと思っていたりする。
いつもは我慢していると思い込んでいるので(つまりは周りは我慢していないように見える。)、何か自分に問題があった場合は、周りに一生懸命に訴える。でも、いつもいつも訴えられていると、周りも嫌になってしまい、いったい何が一番大事なのかを見失って、そのために大事なことも見逃す、ということにもなってくる。
実は、これは昔の私である。
という面もある。
最近は、人のために意見も言うだろうし、求められれば盛り上げ役にもなるだろう。
しかし、以前は、何にも言わずに、周りが好き勝手言ったりしたりしているように見えたし、自分は何にも言っていない、と思っていた。
自分が正しいと思っていると、自分はぼそぼそ愚痴っていることがわからなくなる。
時には悪口にもなっている。
でも、自分の意見だとすると、責任もあるから、愚痴レベルでぐちゃぐちゃ言うこともなく、誰かと対立する可能性もあるという点において、責任も取っている。よく思われながら、自分の思い通りにしようというのはわがままである。
そしてよく思われたい一心で動いている自分を優しい、人当たりがいいと思っている人もいる。
そんなの優しさではなくてエゴだと思う。
きちんと言う、ということは、相手から強い言葉が返ってくるかもしれないことを受け入れている。
たいてい、嫌われるほどみんなの前で何かを言っている人って、それなりに何か大きなことをしているものだ。
そりゃあ、自分のことだけ考えるなら、小さく、波風立てないように過ごしていたらいい。
周りと仲良くすることも大事なことである。
でも、大きく何かを、それも周りのためになる何かをしようとしたときには、それなりに覚悟もいる。
よく思われたい、という気持ちだけでは何も進まないのである。
その潔さや勇気に、人は着いて行くのだと思う。