私はクリスチャンではありません。
高校のときに、小論文の添削講座を通信教育で取っていたため、小さな冊子も一緒に届いていて、その中に渡辺和子さんの文章が掲載されていて、この方を知りました。
とても印象深かったのだと思います。
それからもお名前を見聞きしては、心に留めてきたような気がします。
人は心のもち方で、事態が好転もし、その反対の方向にも行きます。
目の前にある出来事そのものに価値があるのではなく、その価値は自分の心が決めていくのだと思います。
また、何でも感じたり思ったりしたことを表現すればいいというものでもありません。
心の中で葛藤が起こったときに、どう対処するか?ということは対外的なことではありますが、心の中でどう対応していくか?ということの方が、実は重要であると思います。
今日、家人と話していて、わかったことなのですが、世の中にはときに、これは絶対に間違っているだろう・・・、ということも起こります。
でも、間違ったことをした人を咎め、そして徹底的に戦ったとしても、そのことに意味があるかどうかはわかりません。
私は自分事なら、闘うことをしないかもしれません。
これを放っておいたら、ほかの人にも及ぶかもしれないな、と思ったときには、それなりに責任をもって声を上げると思います。
でも、大抵、何かと闘ってもいいことなどない。
だいたいにおいて、良くないことをした人というのは、自滅していくからです。
それなら、自分が自分の心と付き合った方がずっと気が利いています。
とはいえ、最近のニュースを見ていると、社会に訴えなければならないようなことも多くあり、そうそう黙っていていいだけのものでもないな、と思っています。
シスターとして、そして大学の学長として、悩み多き人生を送る上で、上司であるシスターや同僚から様々なことを指摘され、その都度反省し、受け入れてきた渡辺和子さんは、もともとは気性の激しい人だったようです。
お父様を二二六事件に巻き込まれて殺され、その現場に立ち会ったそうで、その体験をずっと胸に、老いたお母様とできるだけ長く一緒に暮らそうという思いや、戦後医学部に入学されたお兄様が自立されるのを見届けようとされて、年齢ギリギリのところで修道院に入られます。
大変なご苦労と、原体験と折り合いをつけて一生修行の道を歩み続けられたのだと思います。
私など、そこまでの求道心もなく(キリスト教でも求道心という言葉を使うのだろうか?と今、ふと不思議になりました。)、日常生活の中で、自らを何とか成長させたいと願うばかりですが、本職として、神に仕える道を選ぶというのは、本当に大変なことだろうと思います。
この本はわかりやすくて、スーッと心に入っていきます。
むしろ頭で読んでもわかりにくいような気もします。
先日書棚を整理していた際に、出てきた本です。
素敵な本のご紹介をたくさんしたいな、と思わされた本でもあります。