人間同士、言葉に出せないけど、どこかでこころがつながっている、というようなことはあれこれあるのかもしれない。
別に、何か行動を起こして、誰かに目に留まるということではなくても、例えば、誰かを連れて、周りからはお世話をしているように明白に判断されるようなことではなくても、人知れず心温まるようなこともあるのかもしれない。
離れていても、心が通じる人というものはいるものだ。
そんなことに距離は関係ない。
たぶん時間も関係ない。
もしかしたら、生死も関係ないかもしれない。
それが証拠に、何にもしていないし、交わした言葉も、話した機会も、両手に満たない、という人で、もうこの世にはいない人からの愛情を今も私は感じている。
その人がこの世にいるときに、その人にお世話になったり、思いを掛けてもらったりしていたのに、私は何にも返していなくて、どこかで感じていたことに対して、はっきりしていないから、ということで、私はスルーしていた。
わかっていたのに。
思いがあることはわかっていたのに・・・。
たくさん助けてくれもし、私にしんどいことがあるとサラッと助けてくれてもいたのに。
その人がいつの間にか亡くなっていたということを、全く違う筋から聞いたときには、私は2週間立ち直れなかった。
当然聞くべく人からは教えてもらえなかった。
だから、私は、今できる感謝は今しておこうと思うようになった。
明日どちらも生きているという確証などないのだから。
高齢者には、後悔しないように接しておきたいと思うし、それを翻って言うなら、子どもたちが小さいころ、私なりに、今の気持ちを聴くことを絶対に疎かにしない、と思いながら接していたことを思い出す。
一期一会と言えば言える。
何度もあっている人とでも、一期一会だ。
その瞬間瞬間の人とのやり取りを大事にしていたいと思う。