何かあったとしたら、結構真剣に考え落ち込むタイプであるのにかかわらず、正直あれこれいろいろ起こってくるし、家族の世話もあったりで、正直、落ち込む自分は自分として、ちょっと横に置いておいて、今するべきことをしている間に、そのこと自体をどこかにやっている・・・、という面があり、私は切り替えの速さを褒めてもらうことが多い。
だから、逆に、いつまでも同じことを細かく常に言われていることがあまり得意ではない。
かと言って、それを言い返すタイプでもないので、ときに溜まってしまうこともある。
だいたい、同じことを繰り返している人というのは、自分のことしか考えていない。
大局的に考えることができたら、同じことをいつまでも言っている間に、自分がどうすればいいか?ということを考え、とっくに次のステップに進んでいるだろうと思われる。
いつまで言っていても、周りが動いてくれない、という状況が長く、また、自分が変わらなければ動かない、というタイプが多かったので、自ずと自分で状況を変える努力をするようになったし、落ち込んでいたって、自分の世話だけはやってね・・・、という人ばかりだったので、自ずと切り替えが速くなった。
それに、私は学生時代からの癖だけれど、自分の主観だけではなくて、相対的な、相手から見たらどうか?という側面から見る癖があって、いろいろ意見を言っているようでいて、それは仕事とかほかの人に影響するものならいざ知らず、自分の都合で何か言うことはあまりなかった。
楽したくて、休日を要求したこともないし、何かをできない、と言ったこともない。
想像力というのは大事だと思う。
自分から見てどう、ということではなくて、自分が見ている相手からの視点。
自分が羨ましくなるような素敵な日々を送っておられるような人にも、実は裏の努力があり、苦労がある。
その苦労も知らずに、ただただ羨ましがるだけ、というのはおかしいと思う。
そこに目を向けずに、ただただいいなあ・・・、と思うのは違うと思う。
誰かに、言いたいこと言えていいね・・・、という人がいるが、大抵言いたいこと言えていると思われている人は、逆にしたいことしていいね・・・、と思っている。
なぜなら、言っている人は裏がなく、みんなの前で言っているが、言えない人は、裏に回ってこそこそとしたいようにしている場合があるからである。
以前、こそこそと不正、とまでは言えないけれど、裏で誰かが困るようなことをしている人がいた。
それを暴かれたときに、言った人に対して、
では〇〇さんみたいに言いたいこと言えばいいんですね・・・。
と返すのを聞いた。
そのときに気づいた。
言っている人というのは、ある意味言える自信もあるし、言っても大丈夫な人なのだということ。
でも、言えない人は、どうしたって裏でこそこそとしなければならないことになるということを。
私は、昔は何も言えなかった。
言えないから、ことが大きくなったり、自分のせいではないことを自分のせいになったこともあった。
それに気づいてくれた先輩方がよく気遣ってくださった。
後ろめたいことなど何もないのに、後ろめたいみたいな気持ちでいたこともある。
言う、ということは大事である。
自分の責任において、きちんと意見を言うということは大事である。
でも、相手の立場や都合も考えずに何でも言っていいというのではなくて、相手の都合も考えつつ、ここまでは言っていい、というのも大事である。
こういうとことに、ときにモラハラの構造というのもあり得るので見極めは大切ではあるけれど、とりあえず自分の言動に自信を持つ、ということは大事であると思う。