再会の意味・・・?

仕事が終わって、教師席に座っていたら、電話が掛かってきた。
男性の声。

「誰かわかりますか・・・?」と言われても、ピン!とこなかった。
以前、仕事で関わった人だった。

まだ、チェリーがひよっこの頃。
今でもひよっこだけど・・・。まだ、考えてみれば、たったの六年。

三年目くらいに、ちょっと関りのあった人だった。
というか、その人との仕事がうまくいったわけではなかったけれど、でも、その人との関係性のおかげで、私は、ほかの機関との付き合いをするきっかけとなり、それをこそ、ある意味仕事の目標としていたから、それはそれで、出会いの意味は大きかった。

ただ、決して楽しい思い出として残っていたのではなくて、正直、ちょっぴり、心の痛む経験だった。
今でもメールの受信箱には、その会社の人の、フォルダーがあって、そのお名前を見るたびに、ちょっぴり思い出してもしまっていた。

そして、そのころ、まだ受講することができずに、必死で、送られてくるメルマガを読んでいた先生のお名前もある。
今は直接お会いすることもあり、そして、遠隔でお目に掛かることもある方になってしまったけれど、そのころ、いつになったら実際に会えるのだろう・・・?と思っていたのを思い出す。

その方からのお電話では、とても仕事が順調だそうで、本当によかった、と思っている。
それに、心に引っ掛かりのあるままでいるのは正直辛いから、だから、そんな、ちょっとした昔の傷を癒すようなお電話があって、ちょっとホッとした。
家族に、会うことは止められた。
「あのとき、結構怖い想いしてたやろ?思い出すんと違う?」
だから、実際に合うことは控えさせていただいたけれど・・・。

最近、再会が多い。
そして、昔の想いを思い出すことが多い。

加えて、大学時代の先輩方の消息も聞こえてきたりして、、ときに切なくなるような話も耳にするようになった。

ただ、たった一人、何がっても、変わらない人がいらっしゃる。
私に起こったすべてのことを客観的に見ることができて、そうして、判断を下せる人・・・。

その時も、「必死なんやろなあ。その人。」と言ってくださったし、最近似たようなことが起こったときには、「徹底的にやらなあかんで。」と言われた。
すべて、言うことを聞いてきたわけではない。

ただ、先日から、たった一つ、自分の最近の傾向がわかりだしてきた。
日々が当たり前になってしまっていたなあ、と。

いつも忙しそう・・・、と私の仕事を評価してくれている生徒たちに表現したら、叱られそうではあるけれど、最近の私には危機感はないし、何とかなるのが普通になってしまっているような気がする。

もっともっと崖っぷちに立っていたくて、走ってきたはずなのに・・・。
もしかしたら、プライベートのことに、かまけてい過ぎたのではないか?と反省しているくらい。

営業さんが、いつも私に喝を入れてくださってきた。
一年目が終わったときなど、「先生、ちゃんと生徒さん増やす努力してるんでしょうね!?僕ら、先生を応援してるんですからね!」などと・・・。

それがいつしか当たり前になっていた。
営業さんは、ときに素晴らしい力を発揮してくださる。
私が仕事がしやすいように、あれこれ提案してくださるのである。
信じている人は、私に必要でないものは絶対に勧めない。
これは、今、先生には要りません!とはっきり言ってくださる。

今日、自宅のお風呂のなんてことない不備があったら、いきなり電話が掛かってきて、解決。
こんな遅くに、困っていたら(でも、なんとなく理由はわかっていて、大したことではないけど、やはりちょっと面倒だと感じてしまうようなことだった。)
ありがたいったらありゃしない。
仕事を持っていなかったら、その点検や修理に来ていただく時間を取ることもできる。
でも、ときは中間考査前。
そんな時間も精神的ゆとりもないのである。
人員も不足である・・・。(笑)
家で、そんなことで待機できる人間などいない。

そんなとき、電話が掛かってきて、即座に解決。
それも深夜に近い時間。
親切に復旧する方法を教えてくださり、復旧の確認のお電話まで掛けてくださった。
便利な時代。便利さの中に、人とのつながりも感じる。

全体を通して、私は、最近、些細なことに感謝できなくなっていて、それで、どこか心が落ち着いていなかったのだな、と実感した次第。
要するに、自分が整えたシステムは、しっかりと機能しているのだなあ、と思い、何一つ無駄なことはなかったのだ、と思ったというお話。
でも、その中にはしっかり人の想いが乗っている。