つれづれ草に、「友にするにわろき者」という段がある。
そのすべてについて、兼好法師に宜えるわけではないけれど・・・。病がなく健康な人、というのがある。
自分がある集団の中にいるときに、その母集団の中での強い立場にいるときと同じことなのではないかなあ・・・。
今日、以前に指導させていただいた、今度、また進級することになっている大学生(チェリーでの生徒さんではない。)とネット上で再会した。
私が数学を指導させられているところを想像して、どうも大笑いしていたらしく、チャットで、「すみません・・・。」で途切れていて、なんで?と思っていたら、「いやあ、実際に大笑いしてしまったんで」という返事。
近々、教室にも顔を出してくれるということで、喜んでしまった。
彼は、私が教師をしてきた中でも、本当に記憶に残る生徒さんのうちの一人である。
尊敬している、という点では、おそらくNo.1だろう。
なぜか。
彼は、まあ、世間的に言ったら、誰が見ても、聞いても、優秀、ということになるだろう。その経歴といい、これから誰もが想像できる職業と言い・・・。
私だって、彼のことを誰かに話さなければならないとき、その、彼を包む、彼の立場から話すことになるだろう。
でも、私が彼を尊敬しているのは、彼が、決して驕らない人だからである。
高校生の彼に出会って、しばらくして、「ぼく、高校に入ったとき、普通に○○高校(自宅の近くにある。)に行くと思ってた・・・、と同級生に言われたんですよ。」なんて、気さくに言ってくれた。大学に入ったときも、「ぼく、国語の一問で入れたんです・・・。」と話してくれた。
いつもいつも、周りの誰をも大切にして、でも、私などが、なんとなくしんどそう、と思ったら、それとなく優しい言葉を掛けてくれた。
お誕生日から言っても、彼はその学部の中で、最年少だったんじゃないかな、と思う。
彼のことをつい思ってしまうのは、彼は、今いる学部なんかでは語れない、○○くん、という人格を備えた人で、〇〇学部に行ってる○○くんではなくて、あの、○○くんだからだ。
正直、それこそが、その職業の最も求める、「人を大切にすること」だと思う。
どうしても、高校時代の知り合いで、その方面に進んだ人を思い起こして、尊敬したり、好ましいとは思えなかった。あくまで、同級生や先輩として、であるが。
だから、皆が尊敬するその職業の人に対して、どこかほかの人がその方々と接するときの敬意を感じられなかった方もいらっしゃったかもしれない。
それでかどうか、私は、その方面の人に、いや、私は、どの方面の方ともたくさん話をするのだけれど、よく話しかけられた。そんな質問されても・・・。いや、あの、私が質問したいんです・・・。
「おかあさん、札幌では、急患態勢が整ってるって、ものの本で(?)読んだんですが、ほんまですか?」大阪に里帰りしたときに、質問されて、頭の中に?が飛んだ。が、頭を巡らし、「あ、はい。まあ、何かあったときは、どこか行けるとこはあるような・・・。」
大阪の先生は、気さくなのか、症状の重い娘に対して、入院させてくださいませんか、と言ったら、「お母さん、入院してもいっしょですよー。」と言われ、娘に向かって、「賢うにしてなあかんでー。暴れてるんとちがうかー?」とお転婆娘の気性を知っていらっしゃるようなおっしゃり方をされた。
娘も娘で、あれこれおしゃべりしている。「飛行機乗ってきたん?ええなあ。そしたら、今度、おっちゃんも一緒に連れて行ってな。」なあんて。
私の内心にある、昔の想いなどとは関係なく、きっと先生方は、子どもの扱いに慣れていらして、きっと勉強熱心なだけだったのに違いない・・・。ちょっとした好奇心で、その専門のなかでの問題点を、しゃべっても大丈夫そうな、気さくな母親に、その土地のことを聞いてみておられただけだったのだろう・・・。
けど、私の中に、ちょっとした想いがあったのも事実である。
そう、少々複雑な想い・・・。
それを払しょくしてくれたのは彼だった。
彼みたいな人が、その仕事に就くのなら、世の中捨てたもんじゃない・・・。
きっと、たくさんたくさん、人の役に立ってくれる・・・。
どうかこのまま、人に立てられることに慣れたりせずに、このまま、周りへの感謝と謙虚さを忘れない彼でいてほしい・・・。
彼の合格を聞いて、祈るような思いでいた。
思えば、たくさん、素敵な先生方にお世話になってきたものである。
私の職業に合わせて、「なんで、あんなに難しなったんやろねえ。○○(とても口に出しては言えない。)になんかなるのに、なんでこんなに勉強せんならんねん・・・。」それは、学問、必要でしょう・・・。
逆に、お聞きしたこともある。
「最近、入るのが難しくなって、どうすれば入っていただけるのか、教えていただきたいくらいなんですけど・・・。」(十分質問してるやないか・・・。)
「そう?最近入ってくる子、そんなすごいな、と思う子いないけどねえ。何が難しくなったの?倍率?」なんて訊かれたり・・・。
気さくに、相手の分野の質問をして、訊ねる、なんて、十分に謙虚で、十分に素敵だと思う。
でも、仲間、として出会った人たちに、当時、あまりに魅力を感じられなかったからか、ある意味、偏見があったなあ、という面は否めない。
年を取るごとに、変わってもきたのだろうけれど・・・。
件の彼は、「教室のブログを拝見して、先生もお元気にしておられるのだなあ、と嬉しくなりました・・・。すみません、」ってきて、あれ、この子、もしかして、私がバイトの勧誘に、あるいは数学で困ってるって思ったのかしらん・・?それは、無理ですって・・・?「それにしても相変わらず謙虚で・・・、」と送ると、「いやあ、本当に想像して、笑ってしまったんで・・・。」
ちょっと、あんたねえ・・・。失礼ね!
し、し、しかし、後輩たちにとっては先輩である・・・。
ここは、ちょっと役に立ってもらおうではないか・・・。
ウソウソ・・・。
再会できる日が楽しみ。
そうして、立派に?いえいえ、気さくな素敵な先生になるのが楽しみ・・・。
どんな仕事の人でもそうだと思う。
出会った一部の人のイメージが鮮明に残ってしまう。
教師が嫌い、という人もたくさんいらっしゃるだろう。
でも、どんな仕事だって、みんな、ほとんどの人は一生懸命なんだと思う。
それに、その人の一生の、ある時代のその人の記憶だけで、それも、一部を見て、判断してはいけない、と思っている。
ときは巡り、人は成長する・・・。
それぞれにいろいろな出来事や、人に揉まれて、それぞれの人生を紡ぎあげ、そうして、それなりに成長している。
もう、昔のことは忘れよう。
大体、類型論が嫌いなくせに・・・。
人生の中で、どこかに置き去りにしてきた感情が、噴き出したようなそんな、2.3日の締めを彼が飾ってくれて、「先生、そんな風に人を見るんですか?」と反省を促してくれたように思えてならない。
人当たりの柔らかい彼であるが、「これって、いいんですかねー?」と、誰かの行動に対して、疑問を投げかけてくれたり、私が、社会人の人を看護学校に入学されるサポートをさせていただいた折に、合格のご挨拶としていただいた、素敵なチョコレートを、彼に上げたら、「人からもらったものを、いいんですか?」なんて、訊き返してくれるほどの、人の想いを大切にする生徒さんだった。
それには訳があって、同じ世界にめでたく旅立つ人から、その次の年、受験を控えている彼に、合格が、どうぞつながりますように、と願ったのであった。
高校時代、どうしても、強くならねばならない環境だった。
若い時代・・・。
そんなときの、ちょっとした過ちや、幼い振る舞いは誰にだってある。
いつまでも覚えていたって仕方がないじゃないか・・・。
自分の在り方を振り返るよすがにしたい。