真ん中っ子の私の役割ー兄のチョコレートとマカロン

実は、父の闘病に際し、兄が、久しぶりに大阪の実家に来てくれた。来てくれた、というほどのことなのは、芸術家のような料理人の兄と、堅物サラリーマンの父との間で、いろいろあり、二人の間に会話を成立させることが、私にとっては、仲介役をしなければならないほどのことだったからである。

実は、兄が来て、帰って行った夜と、大阪から帰ってきた昨夜は、本当に久しぶりに、ここまで眠れるか?というほど深く眠ることができた。
ああ、重かったんだなあ、と思う。

兄は二つ年上であるが、まあ、しっかり者?(ただ、そうされていただけのような気がする。家庭内では。だって、世間様からは、割と世話されていることが多い。危なっかしい説あり。笑)で、比較的勉強もできることになっていて、ピアノなども真面目にやり、お手伝いなども一番私がしていたなどということもあって、兄は、かわいそうな立場であったことも否めない。だから、逆に、妹などよりも、私の方が、兄に対して理解があったようなところもある。

兄が東京からくる日は絶対に実家に行かなければ、と決めていた。
兄にも、優しく穏やかに、「今までは、いろいろあったにしても、今は、兄妹みんなでお父さんを見守りたいねんけど。」とお願いした。
実は、兄は、標準語。私も職場や、札幌時代は標準語で通していたし、なぜか子育ては標準語だった。子どもたちのベースはなぜか標準語で、高岡に戻ってきたとき、小さな息子は、お友だちと、高岡の言葉を共有できることを得意そうにしていた。あったかい高岡のことば。私も、感情的な話になると、高岡のことばになる。
それが、兄と来たら、電話では標準語で、「○○なんだよねー。」何て話すものだから、まるで、都会に出たての学生のように、高岡の言葉を出さないようにしている自分がおかしくて、自分で笑ってしまった。普段誇りにしている言葉なのに。

あさイチの電車ではなく、夜行バスに乗って、朝、新幹線で来るという兄より早く着くことにし、早朝、実家に着いた。
父は、相変わらず、「なんで、真弓がおるん?えらい大層なこっちゃ!」などと言っている。母に言わせると、照れているのだそうで・・・。

新幹線が到着する時間と、実家到着予定の時間差を、何かあるな、と妹は思っていたのであるが、やっぱり、兄は、高島屋によって、素敵な、パリに本店のあるお菓子屋さんの、チョコレートムースとティラミスを二つずつ、それから、私の大好きな可愛いマカロンを買ってきてくれた。
タクシーが到着するのを待っていた母と私だったけれど、兄は、私に、照れくさそうに、「これ。」と言って渡してくれた。

兄の世界のお菓子。
フランスとイタリアに何年も行って修行して、テレビなどに出演したときも、人から聞こえてきても、本人から直接聞いたことはなかった。
フランス料理のシェフとパティシエ。
兄の世界を垣間見ることはなかったけれど、私は、料理が好きで、フランス料理の本を買ってきて、勝手に研究していたこともあるし、お菓子作りに没頭していたこともある。そんなとき、いつも兄を意識していたなあ、と思う。

いろんな話をした。
今までは、会っても、そんなに長く話すことがなかった。
お菓子の話。
調理器具の話や、どうしたら上手に作れるの?
一度はミルフィーユを作ってみたいけど?
クレームブリュレを作れたら、なんでもできるよ。
などなど、いろんな話をしていた。
父はそばでいろいろ聞きながら、ときどき会話に入ってくる。
母と私は、兄の、一人娘自慢を嬉しく聴いている。
この人がここまで子煩悩になれるのね、というほどの愛情が伝わってくる。
兄は、今、一人娘のために一生懸命働いている。

考えてみれば、兄妹三人とも、今はひたすら一生懸命に働いている。いわゆる働き盛りもいいところ。

母が、わざわざ調べて、高島屋にあること知って、わざわざ高島屋に寄って、お菓子を買ってきてくれた。高かったやろなあ、なんて大阪人らしいことを言っている。兄が、デパートに行って、一生懸命売り場を探して、せめて、と買ってきてくれたお菓子。
母と私には、チョコレートムースとティラミスを半分ずつにしたら?なんてかわいいことを言ってくれた。